【Books(Ogino's Select 01)】

本と言えば、何はさておき…私の友人Oぎの先生。先生の「キルケゴール」セレクト5です。

 

 

1位『キリスト教の修練』(著者名アンチ・クリマクス)

 

優れた語り手は、情景が目に浮かぶような、絵画的な語り方をし、聴衆は思わず話に引き込まれる。キルケゴールは、絵画性を含みつつ、それのみならず、音楽的な語り方をする。本書はその音楽性においても、頂点を極めた作品と言える。一つのテーマを徐々に発展させ、天に続く梯子を昇っていくかのような本書は、その美しさ、完成度において、バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」を想起させる。

 

初めの数十頁は、マタイ11:28の涙が出るほど感動的な講解。自分が愛されていると思えなかった私が、キリストに招かれていると実感させてくれた、個人的に貴重な数十頁。何度も繰り返し読んだ。その後作品は、「これ以上ないというほど高い」キリスト教的要請、つまり、新約聖書のキリスト教の要請に進む。すなわち、「キリストの卑賤に倣え」とのメッセージである。背後にある聖句はピリピ2:6-11である。

  

本書は本来は「死に至る病」と二つで一つの作品だった。「死に至る病」が罪の分析、本作品が罪の癒しを取り扱う。よって、両書合わせて読まれたい。

 

 

 

2位『あれか、これか』(刊行者名「ヴィクトル・エレミタ」)

 

本書を一読すると、クリスチャンが、これほど絶望をあからさまに言い表してよいのかと驚く。だがその正直さゆえに、彼の信仰告白もまた我々の魂に訴えかける。

 

本作品『あれか、これか』は奇妙な題名、奇妙な作品である。「あれか(感性的生き方か)、これか(理性的生き方か)」と決断を迫っておきながら、実は提示された「感性的生き方」「理性的生き方」どちらも答えではない。いわば読者に質問をしておきながら、答えを与えずに終える、着地地点のない作品。

 

私が本書を読んだ時の衝撃は、言葉に尽くし難い。「答えがない。これこそ人生。」聖書以外で、そのように感動と確信を与えた信仰的著作は他にない。

 

しかしながら本書の中心は、言葉では語られない、絶望する者をも許容し給う永遠なる神のまなざしである。きっと、あの裏切ったペテロを見やったときのキリストもこのようなまなざしだったのではないか。一体言葉で語らずに、キルケゴールはどうやってそのメッセージを読者に伝えているのか。私にとって未だもって謎である。だが解き明かす価値のある謎だ。言外に、キリストの全てを肯定するまなざしを伝える、それこそ説教ではないだろうか。

 

 

3位『死に至る病』(著者名「アンチ・クリマクス」)

 

日本で最も有名なキルケゴールの作品。岩波文庫からも発売されていて、安価で簡単に入手できる。

 

表紙折り返しのたった四行の祈り、数頁の「序」、やはり数頁の「緒言」だけでも、何度読み返したか知れない、読む度に魂に滋養強壮を与える珠玉の作品。その語り方は高度に哲学的だが、これほど新約聖書のキリスト教が高い純度で描かれている信仰的著作は他にないのではないか、と思われる程である。

 

ただ読者を選ぶのも事実である。私が初めて本書を読んだとき、哲学の「て」の字も知らなかったので、感動した反面、不明な点もたくさんあった。そこで、キルケゴールを理解するために、哲学を独学で学び始めた。哲学を学ぶと、例えば本書にある以下のような表現もグッとくる。「デカルトは『我思うゆえに我あり』という。しかしキリスト者は『我信じるゆえに我あり』という」。すなわち「そうか。デカルトは疑っても疑っても否定しえない『私』という存在を哲学の確かな出発点に据えた。クリスチャンである私のアイデンティティーは、信じることだ。信じ得ないときにも信じる、これこそ私という人間のアルキメデス点なんだ」と。

 

 

4位『不安の概念』

(著者名「ウィギリウス・ハウフニエンシス」) 

 

創世記3章におけるアダムの堕罪を、信仰的に、心理学的に、人間学的に、これほど深く掘り下げた作品を寡聞にして他に知らない。

 

キルケゴールによれば不安とは「反感的共感であり、共感的反感である」。すなわち、「私」は不安を嫌っているのだがそれに惹かれる自分もあり、では好きなのかと言うとやはり嫌いであるという、錯綜した、矛盾した関係にある。それゆえに人は、不安に苛まされつつ、不安を愛しているかのように(!)、神への信頼よりも不安を選びがちなのである。読者は、自身がアダムであるかのように錯覚し、かつエデンの回復、すなわち神への全き信頼、神との透明な関係への情熱が湧きあがるのを感じるだろう。

 

 

 

5位『おそれとおののき』(著者名「沈黙のヨハンネス」)

 

創世記22章におけるアブラハム-イサク物語におけるアブラハムの「信仰」を、これほど深く掘り下げた作品を寡聞にして他に知らない。

 

キルケゴールは最初の数頁で、謎に満ちたアブラハム-イサク物語について四つの相異なる解釈を語る。正にポストモダンの先駆けと言える。思想的にも歴史的意義大の作品である。

 

「自己の願いを捨てるのは偉大なことである、しかし、自己の願いを捨ててから後もその願いをしっかと握って離さずにいるのは、さらに偉大なことなのである。」(白水社版32)。信じ得ないときにもなお信じ続ける、これぞまさに「信仰」ではないだろうか。